「モノヅクリ・デザインの未来」(前編)

こんにちは、編集部の原田です。

2018年9月12日、medibaでは社内セミナー「モノヅクリ・デザインの未来」を実施。本セミナーはGoodpatch社の代表取締役社長兼CEO 土屋尚史氏と弊社代表取締役社長 江幡智広によるパネルディスカッション形式で進行し、ファシリテーターを弊社CXOの岡 昌樹が務めました。

本セミナーは岡が土屋氏に「mediba社員向けにデザイン業界、Goodpatchのデザインカルチャーについて語ってもらいたい」として企画したものですが、さらにKDDI時代に多数のベンチャー企業と接してきた江幡が加わるということで多くの従業員が観覧するこれまでに例を見ない規模の社内セミナーとなりました。

 

波乱万丈のGoodpatch創業

「飲みながらやりたい」という土屋氏の希望で登壇者・観覧者ともにお酒を手に臨んだセミナーの第一声は、土屋氏の「乾杯!」の音頭から始まりました。

 medibaはCREDOをこの4月に更新しました。一番の特徴は「広告」という言葉をなくしたことです。そういう意味では会社としての過渡期を迎えている。その中での本講演となります。

と話を振ると、それを受けて土屋氏がこれまでのキャリアを語ります。

土屋 会社(Goodpatch)を立ち上げて丸7年になります。僕は起業した27歳まで3社経験しているのですが、最初は大学を中退して最初が大阪のITベンチャーで営業、東京のフィードフォースで営業、大阪のWeb制作会社でWebディレクターをやっていました。そこから突如会社をやめてシリコンバレーにいくことにしたんですね。しかも当時すでに結婚していて、子どもがまだ8ヶ月の時にです。

このエピソードはすでにいくつかのメディアでも語られているものですが、この場ではもう少しその内実を語ってくれています。

もともと起業志向を持っていた土屋氏でしたが、27歳の時に祖母が残してくれた定期預金が手に入ったのだそう。それを「いま起業しろ」というメッセージと捉えて取った行動は……、「起業家の話を聞きまくる」こと。

その中で出会ったひとりが、ディー・エヌ・エーの現代表取締役社長 南場智子氏です。

当時、月の半分をシリコンバレーで過ごしていた彼女の話で感銘を受けたのが「最初から世界展開を見据えているシリコンバレーのような会社に、スピードでかなうはずがない。これから起業するのであれば、多国籍軍をつくりなさい」というもの。その話を聞くやいなや、英語も話せない、コネもない中シリコンバレー行きを決意したのです。

 でも、ご家族は大丈夫だったの?

土屋 妻は信じていなかったです(笑)。だって知り合いもいないし、英語もしゃべれない。そもそも海外に行ったこともないのですから。ただ、IT系のイベントに参加すればその中の誰かしらはシリコンバレーに知っている人がいるだろうと思ってイベントに出まくりました。そうしたらチャットワークの山本さん(ChatWork株式会社 代表取締役CEO山本敏行氏)がいたんです。シリコンバレーの会社に知り合いがいないかと聞いたら、「サンフランシスコの会社なら一度だけご飯を食べた人がいる」と紹介してくれて面接が決まったんです。しかも出発の日は3月10日。東日本大震災の前日です。1日遅れていたら僕はシリコンバレーには行けなかったんです。

さらにすごいのが、英語がまったく話せなかった土屋氏が面接で受かってしまったこと。それにはこんな理由が。

土屋 面接してくださったエクスペリエンスデザイン会社Btrax CEO兼創業者Brandon K. Hill氏が、最初から日本語で話してくれたので、面接は英語でしゃべる必要がなかったのです。向こうは「こんなところまで来るやつがまさか英語を話せないわけがない」と思っていたようで、受かったあとにめっちゃ怒られました(笑)。

 

サンフランシスコにWebディレクターはいなかった

土屋 僕の日本での最終職歴はWebディレクターでした。顧客折衝、コンテンツ企画、進行管理、情報設計、アートディレクションまで、サイトを構成する各要素の進行管理を行う人ですね。発注だったり調整だったり。でも向こうにそんな肩書や役割の人はいなかったんです。俗にいう「Director(ダイレクター)」ってタイトルの人は経営者だったりするわけです。

自分がやっていたことはすべてデザイナーがやっていたんです。そこで初めて気づいたのが、こっちではデザイナーの役割が全然違う。日本ではポジションや給与の低い存在だったデザイナーの地位がめちゃくちゃ高いんですよね。

スタートアップのベータ版サービスのUIのクオリティーも、ものすごく高い。当時の日本のサイトといえば、PCのWebサイトをスマホに押し込んでいただけの時代です。僕はそれに衝撃を受けました。それで、UI/UXデザインを専門にやる会社を作りたいなと思ってGoodpatchを立ち上げたのです。

 

mediba江幡 智広のキャリア

江幡 僕は2000年に当時のライフデザイン事業本部に配属されてから異動もなくずっとベンチャーと向き合ってきました。土屋さんとは接点はあったけど、実はしっかり話をするのは初めてですよね。あと、KDDIの外に出たのも初めてです(笑)。

土屋 スタートアップ系の仕事を江幡さんがやるようになったのはどうしてなんですか?

江幡 オタクだったんですよ、僕。当時AppleにしろAndroidにしろ、まだ日本にデバイスが流通していなかったころから海外のアプリケーションを触りまくっていたんですね。そういうのを現社長が僕のことを発見して、「あいつはきっと会社の中ではまともな仕事をしない」と思われたのでしょうね。それで外向きの仕事をやるようになりました。

土屋 iPhoneが出た当時、KDDIとしてはどう思っていたんですか。

江幡 飯田橋オフィスにいたみんなは否定的でしたよ。「あんなものは売れない。ガラケーが最高だ」って。そういう時に僕はiPhone 3GSを買って「なんて便利なんだ」と感動していました。

土屋 反逆者じゃないですか(笑)。KDDIグループの会社を前にしてこの話をするのはあれですけど、僕はボーダフォンからソフトバンクになった瞬間にソフトバンクに変えて、「iPhoneはソフトバンクから出る」というのがヤフーニュースに出た時にガッツポーズしました(笑)。

江幡 僕は当時Googleさんの担当だったんですよ。ガラケーで国内初の検索エンジンを入れるということをやっていて、Appleよりも遅れていたAndroidをどうにかしたかったんです。

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あらゆる障害を次々に乗り越えシリコンバレーにわたり、明確な意思とスピード感でGoodpatchを立ち上げた土屋氏。一方で、自身の感覚で時代の潮流をとらえ、スマートフォン市場で新たな挑戦にいち早く取り組んできた江幡。後編では彼らが考える「イケてるベンチャー」とはなにか、デザインやものづくりはこれからどうなるのかについて語る様子をお届けします。

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